Secret Teachings of Plants: 08 - Heart and our sacredness(心臓と私たちの中にある神聖性)

12月28日(日)7:00-8:00 amのMorning Yoga @ Yoga of Life が、私にとって2014年最後のクラスとなりました。今年はたくさん新しいことに挑戦した、非常に充実した一年でした。ヨガクラスに来てくださった皆さま、本当にありがとうございました!2015年は、1/4(日)7:30am- が最初のクラスとなります。2015年も宜しくお願いいたします。

当クラスでは一ヶ月に渡り、Stephen Harrod Buhner著『Secret Teachings of Plants』を紹介してきました。最終回で話した引用した箇所が以下となります。


I've been introducing pieces from "Secret Teachings of Plants" by Stephen Buhner at my morning yoga class @ Yoga of Life from 7:00-8:00 am on Thursday and Sunday.  Below is what I talked about in my last class on Sun 28th December which was my final class in 2014.  Thank you very very much for coming to my class this year.  

My first class in 2015  will be from 7:30am on Sunday 4th January.  I'd love to see you in my class if you could make it!  


P.118 - Spiritual Heart 

“Aisthesis denotes the moment in which a flow of life force, imbued with communications, moves from one living organism to another.  The word literally means “to breathe in.”…Something from outside enters inside us, something with tremendous impact, something that causes an immediate inspiration.  Often overlooked is the crucial understanding that at the same time, the world takes us in too - we are breathed in as well.  When we experience this sharing of soul essence, we have a direct experience that we are not alone in the world.  


アイステーシスというギリシャ語は、コミュニケーションを有する生命エネルギー(ヨガではプラーナ、日本では氣)が、ある生命有機体から別の生命有機体へと流れ込む瞬間を意味します。文字通りの意味は、”息を吸う”という意味です。

外界から何かが私たちの内側に入ってきます。その何かはとてつもないインパクトを持ったものであり、即時にインスピレーションを起こすものです。よく忘れられがちですが、外界の世界も私たちを取り込んでいるのです。私たちを”吸い込”んでいるわけです。このような魂のエッセンスを共有する体験をすると、私たちは、孤独ではないのだと直接体験することになります。


 

P.120 

“Suppose that a scientist wants to understand nature.  He may begin by studying a leaf, but as his investigation progresses down to the level of molecules, atoms, and the elementary particles, he loses sight of the original leaf.   - Masanobu Fukuoka 福岡正信

 

科学者が自然を理解しているとしましょう。その人はある葉を研究し始めます。しかし調査が分子、原子、素粒子のレベルにまで達すると、元々研究しようとしていた葉がどんなものだったかわからなくなるでしょう。


The linear brain cannot perceive wholes - or insides.  And the more the brain is used as the primary organ of perception, the more life is reduced.  It becomes merely an expression of mechanical forces with no intelligence or purpose, and all life forms are judged and valued depending on their capacity for this kind of analytical processing.  

 

直線的な認知をする脳は、全体像や中身を認識できないのです。脳が認知における第一の臓器として使われれば使われるほど、生命はより減少してしまいます。知能や目的なく、ただ機械的な力によってのみ表されるものとなり、あらゆる生命体はこうした分析プロセスにおいて判断され、価値を与えられるようになってしまうのです。


P.121 

Redeveloping the capacity for heart-centered cognition can help each of us reclaim personal perception of the living and sacred intelligence within the world, within each particular thing.  It moves us from a rational orientation in a dead, mechanized universe to one in which the unique perceptions of the heart are noticed and strengthened, to a deep experience of the living soulfulness of the world.  As the process continues to deepen, it strengthens our spiritual sensitivity and, in the process, helps us gain a deeper understanding of our own sacredness.  

 

心臓を中心に物事を認識する、その行為をもう一度訓練し直すと、生きていることをどう私たちは捉えるのかを再認識させてくれます。世界に聖なる智慧があること、一つ一つの物の中にそういった神聖なものがあることにもう一度気づくようになります。理論的な考え、機械化された生(いのち)の無い宇宙から、それぞれ特有な心臓が見る宇宙へと移動できるのです。心臓による認識が、よりはっきり気づかれ、強められることで、この世界が持つ生きた魂を深く体験することができるようになるでしょう。そしてこのプロセスが深くなればなるほど、私たちのスピリチュアルな感覚は強められ、私たち自身がもつ神聖さをより深く理解させてくれます。


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ヨガクラスでは、よく「呼吸に注意を向けます」と言われますよね。私は最近「心臓に注意を向けて」という声がけもするようにしています。少し動いた後だと、ドクンドクンという心拍がはっきり聞こえるので、そこに注意を向けるのは比較的簡単です。


ではマットの外で、心臓に注意を向けるにはどうしたら?私はこんなふうにしてます。

日常生活で、マインドが忙しくなってきたときや、ひとつの考えから数珠つなぎのように、別の考えへと連想が続いているような時、ふと心臓のほうへ眼をやります。大丈夫そうなら、両手または片手を心臓あたりに置いてみます。「ハートはいま何を言いたがってる?」「ハートはいま何を感じている?」「どんなフィーリングがある?」と自身に尋ねてみます。意識を心臓あたりに持っていき、そこで何が起きているのか探ってみると、意外とマインドがすーっと静かになる、という体験を最近何度かしました。


マインドが忙しいのがいけない訳ではないし、考えることは頭のダルマなので、何も悪い事はありません。マインドへ注意を持っていきすぎること、脳が最も重要な器官だと思い込むのを少し休んでみませんか?代わりに心臓へ意識を持っていってみては?という提案です。よかったら、ぜひ、試してみてください。